与那嶺えりかさん アルゼンチン 3世(20代)
私は3世です。
パパはアルゼンチン生まれで、ママはボリビアで生まれました。
亡くなったおじいちゃん(パパの父親)は沖縄出てすぐ、アルゼンチンのコルドバに住んでいました。
おばあちゃんはその後に来ました。二人は結婚していたのですが、おじいちゃんが先にアルゼンチンに来ました。二人はアルゼンチンで出会いました。バレラに住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんはママの両親です。
二人は沖縄からボリビアに移住したんだけど、アルゼンチンの方がもっと「楽」と聞いて、ここに来たらしいです。うちのパパとママは日本語よりも、うちなーぐちの方が得意です。
・ 自分の両親、祖父母、沖縄から海外に出た理由
Por qué tus padres o abuelos emigraron de Okinawa?
戦前、日本も沖縄も経済的にとても貧しくて、海外に憧れていた人は少なくありませんでした。私のおじいちゃんもその一人でした。
・ 自分のルーツについてどのように感じているのか?
Qué sentis sobre tus origenes?
自分が生まれた国は日本ではありませんが、ルーツを辿れば「自分の国」でもあります。おじいちゃん、おばあちゃん、または両親が生まれ育った国だと思えば、全く関係がないとは言えません。日系人と呼ばれている私たちの役割は「日本とアルゼンチンのかけはしになる」ことだと思います。
・ 自分の住んでいる国・地域のこと
Qué sentis sobre el pais/ barrio que vivis?
アルゼンチンは私の「ふるさと」です。アルゼンチンの人は親切で、温かい心を持っています。おばあちゃんも「そこが沖縄と似ているところだよ」といつも言っています。
・ その国・地域の若者の様子
Sobre los jovenes de tu pais.
アルゼンチンでは日本・沖縄の文化に興味を持っている人は年々、増えています。非日系の方でも、「日本が大好き。日本へ行きたい。」と思う人もたくさんいます。家族のルーツとは全く関係のないはずの日本と距離を縮めるためには、日本語の勉強を始める若者も少なくありません。その若者たちの一生懸命頑張っている姿を見ていると、日系人の私は「日本人に近い、アルゼンチン人が育てられているのはないのでしょうか」と考えるようになりました。
・ その国・地域の日系社会について(活動内容や様子など)
Sobre la sociedad Nikkei(Actividades, actitudes)
10年程前と比べると、日系社会も変わって来たと思います。今までは日系人と言えば「日本人に近い、アルゼンチン人」だったと思いますが、今では「アルゼンチン人に近い、日系人」が増える傾向があります。日系人でも日本語がしゃべれなくなり、日本の文化にも興味を持たないのがその一つの理由だと思います。日本語または日本の文化や習慣などが日系社会からなくならないように、日本人会や日本語学校が活動しています。作文大会・運動会・お祭り・盆踊りなど・・・少なくとも、日本文化に触れるのが目標です。
・ 沖縄の人々に伝えたいこと
Cosas que queres trasmitirles a las personas de Okinawa
私が日本語教師を始めた理由はただ「日本語をわすれないために」でした。
16歳でブルサコ学園を卒業して、これから人生どうする?みたいな話になって・・・私の親戚ってほとんどバレラにいるので、先生が足りないからやってみなよ。って言われて始めました。でも、学校に来るのが楽しくなって、子供も大好きなんで、毎週の土曜日、笑顔で「せんせぇ~い」って抱きついて来る子供たちの顔を見ているとやっぱりやめたくないです。色々と大変で、母校のブルサコとは全然違う学校なんですけど、子供たちのために、学校のために「これからももっと頑張らなきゃ」といつも自分に言い聞かせています。それと、後は他の学校の先生方や、ジャイカのボランティアのみなさんの支えが私の「力」です。その支えがなければ、多分あきらめてたり、もうやめてたりしてたかも知れません。
私が伝えたいことは2つあります。
- 自分が生まれ育った沖縄に対する思いは、みんなそれぞれ違うと思います。その思いは一人一人の宝物です。いつかは、島を離れる日が来ても、その大切な思いを忘れないで下さい。
- いつまでも「自分は(沖縄人)うちなんちゅだ」と誇りに思い、「青い海と空・暖かい風・優しい心の沖縄」を世界中の人々に伝えて下さい。