2021年1月31日に開催された知っておきたい中城!世界のナカグスクンチュに出会うオンラインツアー
70分のオンラインツアーの中で、参加された皆さまから
チャットでたくさんのコメントやご質問をいただきました。
限られた時間の中で、お答えすることのできなかったご質問に、
出演者がお答えします!
ぜひご一読ください\(^O^)/
質問に回答してくれた方々
\ オンラインツアー中の質問とその回答 /
Q1)移民の方々は、移民先をどのように決めていたのでしょうか?
・移民の方は、開業して仕事をしたのですか?
・仕事が決まってから移民するのですか?仕事を探すのが大変そうなイメージがあります。
A) 契約移民といって、移住先の政府または雇い主と移住期間と労働条件、職務内容などの契約を結んで出稼ぎのために国を出る人々、親せきや知人が移民して生活できているからその後を追って移民した人々、又は海外の生活にあこがれて移民した人々など移民を行う理由や移民先の選択は人によって様々です。
中城村字伊舎堂の移民誌「アルゼンチン移民の物語 小さな村から」にはアルゼンチンへ移民した伊舎堂の人々の当時の生活についての証言などが掲載されています。
この書籍は護佐丸歴史資料図書館で閲覧できますので、ぜひ読んでみてください。
(回答:護佐丸歴史資料図書館学芸員)
Q2)南上原から参加しています。戦争の跡地を知る場所はありますか?
A) 中城村の戦跡に関しては、「中城村の戦争遺跡」というガイドブックが中城村教育委員会より発行されています。 中城村は18字ありますが、このガイドブックでは各字ごとに点在している戦跡をひとつひとつ紹介しています。地図も掲載されていますので、場所も分かりやすいです。ガイドブックは護佐丸歴史資料図書館にて配布しております。
(※ガイドブックの在庫には限りがあります。在庫が切れていた場合は、閲覧用のガイドブックを館内で読むことができます。)
(回答:護佐丸歴史資料図書館学芸員)
Q3)久場崎の港は戦前からあったのですか?
A) 久場崎は字久場の海岸付近を指しており、沖縄戦で米軍に占領された後に、久場崎に船を停めるための浮桟橋が建造されました。
そして、引揚者を一時的に収容するために久場集落一帯に収容所が建設され、久場崎収容所として機能していました。そのため、久場崎の引揚港は戦後直後に建てられたものとなります。しかしその浮桟橋は引揚げ終了後には解体され、痕跡はのこっていません。
収容所も、本土復帰後に久場の土地が返還され、解体されました。
(回答:護佐丸歴史資料図書館学芸員)
Q5)若者歴史塾が勉強会を開催する際は、詳しい方にお話をしてもらってますか?それとも自分たちで説明して参加者にシェアするかたちですか?
A)中城若者歴史塾は、中城出身で元社会科教員、元教育委員長の方を先生に招いてフィールドワークを行ってます。
(回答:中城若者歴史塾)
Q4)マーメイドはどういった由来があるんでしょうか?(カフェマーメイドのお店の名前の由来)
A) 以前、この場所にマーメイドレストランというお店がありました。、そのお店ではペルー料理のビュッフェが出されており、移民から帰ってきた人たちからの憩いの場になっていたそうです。
(回答:実行委員)
中城は、まだまだ奥深いですね~!これからももっと知っていければと思います♡